본문 바로가기
剛 244/堂本剛 radio

[도모토 쯔요시] bayfm 堂本剛 と「Fashion & Music Book」vol.82 (2011.01.29)

by 자오딩 2011. 2. 1.

2011年月29日

[BGM:Coward]

bay-fmをお聴きの皆さん、こんばんは。堂本剛です。
さあ、『堂本剛とFashion&Music Book』始まりましたけれども。
まあね、先週も言いましたけれども、ほんま終わってまうね、という1月…。
もう今日は29日ですよ、ねぇ。まあそんな2011年、
ん~~~、まあこの1ヵ月…まあ、先週も色々話しましたけれどもねぇ。
色んなニュースがありましたね、と。これ、日本或いはニッポン・・・って…
まあ僕、今年、国創りを・・・本当に真剣にやるんですけど。
国創りを…っていうのは、僕の国なんですけどね、うん。

でもこんなん、冗談でね…冗談でっていうか、アートの一環として、
「俺、国始めました」みたいな感じでぇ、ちょっとこう考え初めてぇ、
あの…まあ、政権交代とかさ、色んな事があった後にですよ、
あの~、『立ち上がれ、ニッポン』みたいな新党を作る動きとかね…。
後はその~、奈良とか和歌山とか、え~~、あの辺りの人達が、
「ちょっと国創りませんか?」みたいな、ちょっと遊びをやったりとか。
で、「それの国旗を募集してます」みたいな試みがあったりとか、色々あったんですけど。

みんなやっぱり、何かこう…国を・・・再生させたいというね、想いがあるんですよね。
で、僕は国を再生させたいという想いは、もちろんありますけど。
でも、その仕事って、僕の仕事じゃないか…みたいな所もあって。
あの、これは無責任な意味じゃなくてね、うん。
だからまあ、自分が国を創って、え~、いわゆる、う~~ん・・・
今の日本に欠けてる部分…みたいなものを、提案出来るといいな~と思って。
あの、視覚的にもちょうかんじょう的(※聞きとれませんでした。)にも体感的にもね。
「あ、今の日本てこういう感覚ないよね」みたいな・・・うん。
それこそ「自分の名前で行ったらええやん」みたいな…。
「そっちの方何か良くない?」みたいな事も含めてね、
ちっちゃい事も含めてね、何かこうアートを通してね、
伝えていけると、結果、日本の再生に多少、協力できるのかな~…みたいな。

やっぱり、日本人は心がちょっと疲れてるんですよねぇ。
まあ、真面目な話すると、やっぱりその精神的な病とかもそうですし、
ん~、自ら命を絶つという様な事…う~~ん、まあそういった事も、
やっぱり減って行く訳ではないというね、うん…。
そういう現実があるから。でも、そういう現実とかも、
やっぱりね、向き合って行くべきなんですよね、うん。

じゃあ、そういう追い込まれた人達に対して、
嘘偽りでねぇ、何かまあ…芸事をやるっていうのはどうなんだ?って、
何かやっぱり思っちゃうんですよね。
で、僕も過去に苦しかった時期、いっぱいありますから。
命の事、凄い考えたし。でも、そこからまた復活する事によって…
音楽を通して復活してね、ん~~~、生きてるから音楽が出来るとか、
何か、体感出来るとか、色んな事を思いながらも復活したっていう所からいくと、
ん~~~、やっぱり、そういう人達を…自分と同じ様な境遇にね、
立たされた様な人達を少しでも助けられる様な、何かを生み出すっていう様な事も、
人生の一つとして、やれたらいいな~っていう感覚なんですよね、うん~。

まあでも、ほんと、テレビではなかなか喋られへん事…みたいなものが、
ラジオでは、ちょっとこう軽く喋れたりするっていう感覚もあるしねぇ。
まあまあね、今の世の中、色々ありますけれども、
2011年どこまでね、ニッポンが…日本が立て直す事が出来るのか?  [BGM:♪NIPPON]
或いは国民に対してね、信頼を回復して、どれだけの夢とか希望というものを、
若者に与える事が出来るのか?そんな国にまた戻って行くのか、っていうねぇ…。
凄く至難の業だと思いますが、皆さんに頑張っていただきたいという願いも込めまして、
こちら、“NIPPON”という曲を聴いていただきましょう。どうぞ。


   ♪~ NIPPON   剛 紫 



『堂本剛とFashion&Music Book』
この時間は、リスナーの皆さんからのメールをご紹介しますが。
今日はですね、中国からメールきましたよ、うん。
・・・色々ありましたね、中国も。
もう僕には分からない領域の、様々な事がありましたけれども、2010年もね、うん。
まあでも、若い人達からすると、意見がこうね…「別に・・・」みたない感覚とか、
何か色々やっぱりありましたね。ワイドショーとか、ちょっと拝見すると。
そんなに大きく捉えてなかったりとか…。
或いは「日本はこうなんじゃないか」とか、
日本側の意見もちゃんと考えていたりとかっていう、
お若い世代と年齢を重ねた世代の考える日本というのは、また違ったりした…
そういうものも色々感じたシーンが、2010年もありましたけれども。

中国のですね、『21歳の大学三年生です。』という事で。
ウショウさんからいただきました。
『もっと剛さんの言葉を理解できるように、今、日本語を専攻しています。』というねぇ…。

僕の日本語・・・は、まず関西弁という所で、
分かりにくくさせてしまう可能性も・・・あるでしょうが…。
或いは、表現とかね、え~、日本人があまりしない例えとかをしてしまう時があるんでぇ…。
僕の日本語が分かる様になると、相当、今後楽でしょうけど、うん。
まああの、気を遣って喋ると、あの~、渡辺さんみたいに(笑)なるんでね。
あの、戦場カメラマンのね。
気を遣わずに喋っていこうと思いますけれども。         [BGM:♪濡れ鼠]
え~、このウショウさんはね、『最近、未来のことで悩んでるんです。』と。
『就職をするか、中国で大学院に入るか、それとも日本に留学するか。
こういう事を考えれば考える程、自分がダメな人間だという事に気付きました。』
という風に言ってるんですけれども。
『これまでずっと、のんびりしていたので、一つの事に熱中した事がないんです。
剛さんは21歳のとき何を考えていたのかを知りたいので、このメールを送りました。
剛さんなら、絶対勇気をくれると思います。』
と、いう風に、海を渡って・・・メール来ました。

あの~、何か・・・やっぱり、21(歳)ぐらいの時ってぇ、
学生の様で社会人の様でっていうね、感覚でぇ…。
大人もねえ、あの~~、大人として見てあげなあかんねんけど、
まだ所詮子供やねん…みたいな~、対応が多い時期なんですよね。
だから、そこは自分の実力でぇ、示して行くっていうか…うん。
実力もそうですけど、意思ですよね。「自分はこうしたいと思ってるんで…」っていう、
真っ直ぐとした意思が、大人に伝えられるか伝えられないか…みたいな。
でも、こん時(この時)僕は、もうほんとに・・・
大人の事もそうやって色々悩んでましたけど、
一番考えてたのは、ほんとに、ファンの人、支えて下さってる人…に対して、
ん~~、ほんとの自分を伝えたいと思ってた時です。

テレビとか雑誌とかラジオとか色んな物の中で、
全く、僕が持っていない僕…自分じゃない自分像っていうのが、
そういうイメージが成長していたので。
・・・僕は別にやんちゃでもないし、あの~、活発な子でもないし…みたいな。
どっちかっていうと、ナイーブなんでぇ…。
凄く色んな事に傷ついて生きてたから…。
ほんとの僕を知って欲しかったりとか、ほんとの僕の叫びを聞いて欲しかったんですね。
なぜなら、僕を愛してるって言ってくれてる人やから。
その人に対して、自分が辛い事とか不安な事っていうのを伝えるっていう事は、
なんら悪い事じゃないと、僕は思ってるんでね、今も。
だから、悲しませたり、心配させたりする事が良くないっていう風に言う人もいるけど、
「何でその時言ってくれへんかったん?」っていうのが、僕、嫌いなんでぇ。
「言ってくれたら良かったのに」って…。(※この部分聞きとれませんでした。)
「あの時、ほんまはこうやってんけどさ」って親とかに言われると、凄い嫌やから~。
何か・・それと一緒でね、「自分は今こう思ってる」とか、
「こういう事を凄く不安に思ってて苦しい」とか、
そういうものをちゃんと伝えたいと思って。
愛する人に、ちゃんと伝えたいと思って必死になってた時期ですね。

で、それを、やっぱりこう…マイクに向かって、今こうやって喋れるけど、
その当時に喋ったら、これまた・・・カットされるし。
「大丈夫?あいつ」とか「何なん?」っていう、ちょっとタブーみたいなさぁ、
何か変な空気みたいになるんですよね。
だから、音楽でしか伝えられなかったから、
音楽をやってた…っていう風に言っても、ん~、嘘ではないかな。
音楽が唯一…歌詩の中で唯一、自分の叫び声を、ファンの人に…
歌ってるだけやから。言ってないから…。
歌ってるだけやから、何も怒られる事もないし、
上の人から何も言われる筋合いもないな、っていう感覚でぇ、
とにかく、歌しか無かったんですよね、伝えられる場所っていうのが。
だから、とにかく・・・自分の叫びとか喜びも含めて、
愛する人達に伝えたい、という想いで必死になってた、うん。
それを邪魔しようとする、様々な力を避けて、
音楽の力を借りて~、「愛する人まで届け」と思って
必死になってたっていう時期なんだろうなっていう…うん。
で、そこからまあ、何かこう少しずつですけどね、ほんとの自分を伝えられて、
離れていく人もいっぱい居たよね。ほんとの自分を伝える事によって。

でも、偽りの自分を伝える事によって、
僕の事に興味を持ってくれる人が増える人生の方が嫌やなと思ったから。
僕はまあ、ほんとの事を喋ろうと思って、普通に今、生活し始めたんですけどね、うん。
ラジオでもこうして話するし。でも、そこで残ってくれた人が本当に、
自分の事を愛してくれてる人だなあという認識も、どんどんどんどん高まってくるし、
まあ、離れて行った人も含めて、今の自分を作ってくれてるという、
感謝の気持ちも絶対に、俺は忘れる事は無いけれども、
忘れずに、まあ、色んな事をやって行こうっていうのが、
今の31…もう、4月で32になりますけれども、うん。
だから、ほんと、10年前の話ですからね、僕からしたら。
21歳なんていうのは。僕、31ですから、今、うん。

でも、21…まあ男性、女性、色々性別によって、
後は国によって色々違うと思いますけれども。
本当にね、日本という国が、自分のその中国という国よりも、
自分を育てるという、何か・・・ん~、希望があれば、
日本に来ればいいと思うんですよね。
でもやっぱり、自分は中国を愛していて、
中国が自分を創る…まず、自分を創るという意味では、
中国で過ごして、本当の自分というものが出来上がってから、
日本に入って来るというやり方もありますよね。
或いはもうほんと、本当の自分が出来てるのであれば、
どっちに行ってもいいと思うんですよ。中国でも日本でも。
或いは、ほんとの自分を創るのが、外国…日本という国なのであれば、
日本に行ってもいいでしょうし。
でも、日本ていうのは、ほんと、中国文化がいっぱいありますからねぇ、うん。
建築から始まって、まあお寺とかも何でもそうですけども、中国建築だったりするし。
そんなに、あの~、かけ離れた話ではないから、
ん~~、ほんと、先祖レベルっていうか、祖先の話をしていくと、
まあ日本ていう国は、中国とも深く繋がってる部分もあるし、
そういう歴史的な関係性でもあるから、
僕は、逆に言えば、中国が、日本が、という事を言わなくても、
自分の心が行きたい所に行けばいいんじゃないかなって凄く思うんですよね。

ま、僕の今の色々話した事が、どこまで、
あの~~、力になるか分からないですけれども。
まあ僕は、21歳の頃こうだったなあとか、ん~、今はこんな風に思うなあとか、
中国、日本という様な二つの国を並べても、
どっちが良い悪いっていう事は、僕は思わないな。
どっちも、「らしさ」を持ってるから。
そこを、自分が愛する事さえできればいい。
自分次第だなっていう風に思ったりするなぁ…みたいな話ですけれども。
また、何かこう結果なんかもねぇ、色々また決まったら、
メールいただけたらなという風に思いますが。

え~~、まあ今、色々ね、心の痛みとかの話も傷の話とか、色々しましたけれども。
まあ、ほんとに傷ついて、或いは自分を傷つけて生きてる人も、
ほんと世の中には多いんですよね。で、何か少しでも、ん~~、
皆さんの傷を癒せる様にと思って…。         [BGM:♪傷の上には赤いBLOOD]
さっきも言いましたけれども、本当に苦しい時って、アッパーな曲聴かれへんし~、
何か、暗い音楽を聴きたくなるっていうのが、本当にあるんですよねぇ、うん。
まあ色々な、そういう自分が経験した感覚も含めて作った、
“傷の上には赤いBLOOD”という曲があるので、こちらを聴いていただきましょう。どうぞ。


   ♪~ 傷の上には赤いBLOOD   ENDLICHERI☆ENDLICHERI



[BGM:傷の上には赤いBLOOD]

『堂本剛とFashion&Music Book』今夜の放送、いかがだったでしょうか。
今日はね、中国からメールをいただいた事もありまして、
21歳の自分の話とかもね、させていただけたな~という回でしたけれども。
こういうね、自分の本当の声というかね、そういうものも語らせて貰える様なこのラジオ。
まあ、皆さんからいただくメッセージによって、僕もこういう言葉を、
ん~、チョイスする…まあ、僕にとっても特別なラジオでございますけれども。

こちら、皆さんね、何でも構いませんので送っていただけたらなと思います。
メールの方は『tsuyoshi@bayfm.co.jp
ファックスは『043-351-8011』
ハガキの方は『〒261-7127 bay-fm』まで、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

さあ!え~~、メールでですね、みちえもんさんであったりですね、
ミキフィーさんでしたり、え~~~、えじまのぶえさんね。
めっちゃ普通に名前で来てますけれどもね。
…の様々な方がですね、『“24CH△NNEL”のDVD、予約しましたよ』という事で、
え~、メールいただいております。
まああの~、こちらはですね、2月23日に発売するんですね。
僕が以前、あの~~~、ほんのり空いた隙間でやってた番組なんですけれども、ええ。
ほんまに緩いタッチで、僕が100個のですね、叶えたい事を実現していくという、
ま、そんな深夜バラエティでしたが。
まあこれ、深夜バラエティ、あの時間であの分数にして、
よう視聴率とってたなという、ほんま、驚異的な番組だったんですけれどもね。
まあこちらも、ちょっとの期間で終わってしまったんですけれども。
こちら“24CH△NNEL”ですね、数々の…#25までですね…を、押えました、
DVD1巻2巻3巻、こちら2月23日に出るんですけれども。

え~、サングラスが24個…カザールさんと堂本剛がですね、コラボレーションしまして、
オリジナルのサングラスを作ったんですが、まあ、こちらが24個。
そして『“24CH△NNEL”最終回。終わります。』という告知のポスターを作ったんですが、
こちらが244枚なんですけれども。
こちらを抽選で、当たった方にはお届けするというシステムなんですが。   [♪ku]
まあこの~、言ってたんですよ、当初もね。
“24CH△NNEL”と言いながら、#25までやってしまった事は、どうなんだろうみたいなね。
ま、回数が多い事はいいんですけれども。
「何か先週で終わってても良かったですかね」みたいな話すら出ましたけれどもね。
そして、発売日が2月の23日という事でね、ええ。
う~ん、ここは24日だったらねぇ、何か色々、カチッときたんですけれどもね。
ここも23日という事で。まあ、スタッフ一同何とも言えん笑顔でしたね、うん。

んふふ(笑)何かこう、うん…まあ、それもいいんですけどね。
あの~、何なんでしょうね。この、ちょっとズレる感じですね、うん~。
そして、2月1日なんですけれども、TBSさんですね、『あらびき団』さんの方で、
ちょっとまあ、オンエア上、出るんですけれども。
まああの、キュートンというね、鬼奴さん率いる集団がいるんですけれども。
そのキュートンに、曲を提供させていただいたんですけれども。
まあ、いかんせん、製作費も何も無いという事でね、
こぢんまりとスタジオにこもってですね、え~~~、あれは1日でしたっけ?・・・
2日?2日間ですね。2日間で曲を作るという事で。
で~、何も下書きもせずにスタジオに入りまして、うん。その場で作ったんですけど。
それも、ギター弾いてくれる人も、お金が発生しちゃうんで、弾いて下さいと。
ベースもお金が発生しちゃうんで、弾いて下さいと。
ドラム、打ちこんで下さいと、うん。…と、いう事でね、非常に、あの~、
引き受けたものの、凄く大変でしたね、うん~。

で、この2月のね1日にはあきらかになるんですけれども。
まあその~、僕の作った音を聴きながら、キュートンが振付をするんですけれども、
前半おもしろいんですけれどもね、後半、振付っていうか、
もう悪ふざけみたいになってますから。
あの~、良くもここまで音を無視して、あの…(笑)この何分間行ったなという…(笑)
瞬間とかもあって、ええ。非常におもしろい仕上がりになってますのでね、
是非、キュートンファン、あらびき団ファンの方にも、
喜んでいただけるようなものになったんじゃないかなと思いますけれども。
まあ、こういうチョロっとした、楽曲提供みたいなものもね、
やれる様にはなってきてますけれどもね、うん。

さあ、という事でございまして。
皆さん、『堂本剛 情報配信サービス』など、無料登録だったりしますので、
『tsuyoshi.in』まあ、チェックしてみたり、
暇つぶしに見て貰ったらなあという風に思ったりもします。
さあ、という事でございまして、今夜はですね、
“Chance Comes Knocking.”を聴きながらお別れしたいんですけれども。
まあ、2月にまた入りまして、うん…。
2月入ったら、「バレンタインや」言うて、みんな騒いでウエーってなるというね、
まあそんな、日本だと思いますけれども。
今年はね、誰にチョコレートをあげるのかなっていうねぇ、所でしょうねぇ、うん~。
まあ、僕からしたらもう本当に、結構どうでもええなというね、瞬間なんですけど(笑)
バレンタインじゃなくても、チョコレート貰えると嬉しいな…みたいなとこあるんで。

チョコレート、まあ実際、昨日も食ってるんですけれどもね。
今日も朝、食ってきてますけれども、うん。
チョコレートっていいよね、っていう所あるんですけれどもねぇ。
まあ、チョコレートのCMも、なかなか来ないなというね、
そこはちょっとやっぱり、懸念される所でしょうねぇ、うん。
まあチョコレートと、後、カレーですね。
この2つに関しては、今年CMなんかくれてもいいんちゃうかと思いますけどねぇ、うん。
売れると思いますけどねぇ、僕がCMやると。チョコレートとかカレー、うん~。
凄く売れると思うんですよね。今のここを撮って貰って、
オンエアしてもいい位ですね、この寝ぐせで、うん~。
多分売れると思いますけれどもね。その、カレーとかチョコレート。
今これ、企業の聴いてる人が居るかもしれませんから。
色んな手を使って、僕にオファーしていただければなあという風に思いますが。

さあ、それでは、え~~、まあ1月、あっちゅう間に終わって、2月に入りますが。
                          [♪Chance Comes Knocking.]
ん~~、ちょっとやっぱりね、あの~、みんなの…日本人の、
その~、心が、少しでも日本人らしく、もっとね、こう…生まれ変わるというか、
僕たちはこうあるべきだなというか、そういう気付きをね、
与えてくれる様な、うん…色んな作品が世の中にどんどん溢れていくといいですね。
まあ、そんな色んな想いも込めましてですね…
『ピンチはチャンス』っていう言葉がありますから、
何かこう、ちょっと落ちてる感じとか、
暗い雰囲気の時こそね、閃くものだったりしますから。
皆さん、是非踏ん張って頑張って行きましょうよ、色んな事ね。
さあ、という事で、様々な想いを込めて“Chance Comes Knocking.”
聴きながら、お別れしたいと思います。
『堂本剛とFashion&Music Book』お相手は堂本 剛でした。
それでは、皆さん、また来週お逢いいたしましょう。さよなら。


♪~ Chance Comes Knocking.         ENDLICHERI☆ENDLICHERI