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剛 244/堂本剛 radio

[도모토 쯔요시] 180310 堂本剛とFashion & Music Book #.448

by 자오딩 2018. 3. 10.



bayFMをお聞きの皆さんこんばんは。堂本剛です。堂本剛とFashion&MusicBookはじまりました。今日は3月の10日でございますけれども、明日ですね、3月の11日が2011年の3月11日に起きましたね、東日本大震災、あのときから7年がもう、たっているということで、あのー……、いろいろとこう…この震災の事について、このラジオでもいろいろなことを語らせていただいてきてるんですけれども、まあ、何年たってもそうですし、結局、その自分の、生まれた国の話である事、というところで、うーん、いろいろ考えてしまうことは、多いんですけど自分の、その、生まれ育った故郷、町ではないというところで

たとえば、僕が耳をわずらいましたけどうーん、その立場になってみて初めてわかることがあるじゃないですかそうならないとわからないことも、到底あるんですよねだからあのあまりこう、軽い…気持ち的には、深刻にとらえていたとしても…言葉選びが難しかったり…するなぁと思いながらただでも、寄り添える瞬間があるとするならば寄り添いたいな、みたいな気持ちもやっぱりあって当時も僕なりのできることをやろうということでやりました。
それがご迷惑にならないようにとか、うん…と、いろいろな細心の注意を払いながら、みんなでいろいろ話し合いながら個人的な感情は棚にしまわなければいけなかったりとかいろんなことがありながら、最終的には、これならば…うーん動いてもいいんじゃないかというようなこと…なので、ライブにうかがったりとか、まあちょっと、お笑いと届けに行ったりとかいろんなことをしまして、ほんとはもっとやりたいことあったんですけどね、ひとりじゃなくても。うん
やっぱりそういう時だからこそっていういろんな思いがありましたからうーんやっぱり二度と起こってほしくはないことではあるし、だからモノづくりをする人間としてはとてもこう……、なんていうのかな風化 っていうのがあるので何らかの形で、残さなければいけないんじゃないかという気持ちも少し出るんですよねたとえばそれが僕の地元だったとしてもそうするだろうし自分の地元じゃないからそうするとかでもやっぱりなくて海外の方だったりいろんなかたにやっぱりそのメッセージを届けるという意味でもうん…なにかはやっぱりこう、のこす役割の人もいるから映像撮る人だったりいろんな人がいて、うん、だから
何か残せたらいいなあと思いながら、いろんなことを僕なりにやったなっていう不思議なもので、あのー、そういうときに、聴いてた曲とかが聴きたくなくなったりとかね、いろんなことってあるよなって思ってラジオネームのぞみさんにもいただいてましてもうすぐ震災から7年がたとうとしていますと
わたしはあの日福島県の沿岸部にいました、と子育ては地元でしたいと思って関東から故郷へ帰ったばっかりだったそうですね地震と津波と原発の被害によって大好きだった故郷の姿がもうないとで、帰る場所がないというのはなかなかつらいです
故郷を失っただけでなく、大好きだった音楽を避けるようになり、好きだった曲を聴くと震災前の記憶がよみがえる、あの頃に戻りたいな、なんでいまはつらいんだろうと、負の感情が大切な思いをぬりつぶしていきます。思い出まで失うのがこわく、剛君の音楽もずっと聞けずにいました。ごめんなさい、と
だけど今は剛君の歌に救われています。声をきくと勇気が湧いてきます。一度も帰っていない故郷に行ってみよう。現実を受け止めて、前に進みたいと思えるようになりました。ちょっとわがままをいうと、すこしびびっている弱虫の私の背中を押してほしいです、と。
いつもありがとう、だいすきだよ、と言ってくれてますね、ありがとうございます。あのー、これがね、こういうときに、自分に置き換えて物事を考える人と、人の話として終わらせる人との差が大きいんですよね。うん。で、後者の人たちのたまり場でいると、もうほんとしんどいんですよ、こころが。だから、この震災の経験されて、僕の音楽させてました、ごめんなさいといわはったけど、どうぞ避けてもらっていいし、だって僕がその人を苦しめるために音楽を作りたいと思って作ったのでもないから。だから、そのときそのとき必要とされるときに聞いてもらえればいいなあというものでもあるし、なんかそういう…いまお便り読んで、やっぱり全部僕が理解することはできないけど、同じ気持ちにはなれないけどね、でも、なろうとして、読んだり、なにか僕の経験と照らし合わせることで少しこう近づこうとしてみたり。


だから、きっとのぞみさんのご自身の、感覚でいいと思うんですよ。うん。もし少しでもびびっていてね、ここに書いてあったけど、びびっている弱虫の私の背中を押してほしいって書いてましたけどなんやろ。こう…いややなあと思ってたら、いいんじゃないですかね、行かなくても。あの、人生一度きりとか、自分のからだって大事やから、とか、なんかいろんなことがよぎるのであれば、その場に立って、苦しくなるのであれば、自分のタイミングでそこと向き合ったり乗り越えたり立ち向かうみたいなそういうときがかならずや訪れるから、そのタイミングでいいんじゃないかなと、思ったりする。で、いま自分が行かなければ後悔すると思うんであれば絶対行ったほうがいいかなうん…なんか後悔するのも、なんかもったいないっていうか…

 

だからぼくも耳のことも、これやってみてもいいけど、やらんでもいいかなみたいなこととかも含めて、全部やってみてるんですよね。やってみといたほうが、あれやってなかったからかな、みたいなあとでなっても、つまらんし、と思って。だからこう自分でやっぱり、自分に対して光を差すっていう、ことのひとつの行動だとするならば、戻っていろいろなものを吸収するっていうのはとてもいいことかなと思います。でもそこでまた自分を見失ったり苦しくなったりするようであれば、まだタイミングじゃないのかもしれない。でもそれはもう自分でご自身で決めて、いかはったらいいと思います。なんかこう自分のふるさとがね、同じような状況になったときに僕はどうするんだろうとかっていうような考え方でいろいろみなさんのおたより読んだり日常過ごしてきましたしね、今も読むとつらいなあって自分の地元がそうなったりしたときにね、でもそこにそれでも住みたいっていう人がいたり、離れる人がいたり、迷って戻るのどうしようかって言ってる人がいたり、意を決して戻ったり、色んな人がいるけれども、それって、あの、恋人とかさ、好きな人とかをさ、愛する愛し方と一緒でさ、好きだからこそ好きがゆえに、愛してるがゆえに、じゃ一緒にいよ、っていう人と、いまは離れようっていう人と、離れてはみたけれどもどうしようかなってずっと悩んでいる人と、意を決して、やっぱり一緒にいよって戻る人と。なんかほんとに恋人と似てるような感覚っていうか、…つらいよね。すごくね、でもとても強いものでもあるしね。うん。だからその強い思い、だから、ゆえに、ゆっくり考えてみてもいいかなって思います。うん。

 

えー、その当時ですね、僕もいろいろな思いを込めて作ったというか、まあ、母の一筋の涙からできた曲なんですけど、なぜこのような曲を書いたんだろう、と、…ちょっと頭の中ははてなだった曲。くに、っていう言葉だったり、いろいろその、歌詞でちりばめられている言葉が、いまも振り返るととても不思議な曲なんですが、この2011年の4月にリリースしました「縁を結いて」こちら聴いていただきましょう。「縁を結いて」

 

堂本剛とFashion&MusicBook、ここでメールご紹介させていただきます。春が近いので、「春になると思い出すこと」というテーマで募集させていただきました。まるっぺさんからいただきまして、わたしがはるがくると思い出すこと、剛さんの誕生日です。つぎは39歳、30代最後ですね。剛さんのお気持ちどんな感じですか。30代最後にこれだけはやっておきたいということありますか。4月10日は剛さんにたくさんの愛をこめておめでとうを贈りたいと思います。といってくださっております。そしてね、まきさんなんですけれども、春が来ると思い出すことがですね、2006年にENDLICHERI☆ENDLICHERIの横浜で行ったライブと。当時10代の後半で、チケットを申し込んで夜行バスを予約してはじめてひとりで大阪から横浜まででかけました。朝早くに横浜に到着してテントに行けた時のうれしさ、今でも忘れられません。ひとりで横浜まで行けたという事がわたしの自信につながりました。きっと剛君のファンになっていなかったら、あのとき行動を起こしていなかっただろうなと思います。今でもこのときに発売された「Coward」に収録されている「故意」を聴くとこの時の気持ちがよみがえり涙が出てきます。うれしさと少しの不安がまざった。ちょうど春が来る少し前に聴いた大好きな曲です。

 

そしてね、このかた、ヒロさんが


私の春が来たら思い出すがみなとみらいの剛桜です。存在は知っていましたが、はじめて見に行けたのが去年の四月で、何度もいっていたのにもかかわらず、満開の時期には残念ながら行けませんでした。今年こそ満開の剛桜を見ようと思っております。そしてまたいつか、タンクでライブしてほしいなと願う今日この頃です。そしてだいちゃんさんです。春が来ると思い出すこと。昨年16歳で亡くなったわんちゃんですね。小さいころに一度だけ、落ちていた桜の花をむしゃむしゃ食べていたことがありました。まだ子犬のときだったからなのかもしれませんが、いまとなってはなぜあんなふうに食べていたのか、思い出すと涙があふれてきます。やっぱりこう、春はね、ラジオとかテレビ番組とか、雑誌とかなんでもそうですけど、明るいワードがとても多いですよね、なんか、引っ越しだなんだいろいろあって。でもそれとはまた裏腹に、切ない季節でもあるなっていうのは、年を重ねるたびに思うなっていう…。僕自身の次の日に愛犬をなくしましたから、やっぱり春になると自分の誕生日ではあるけれども、そっちのほうが全然威力がでかいですね。


いまだに会いたいなぁと思ったりとか、いろんなこと思って過ごしてますから、それだけ愛してたんだなってことをまた再認識するわけなんですけれども
そうですね、このウォータータンクの話もそうですけど、あれもやっぱりなんていうのかなぁ、あの当時は、スタッフふくめ、一丸となって、ほんとにいろんなことやってた。ファンの人たちに対して、心から、どんなふうにしたら楽しませて上げれるかな、どうなんかな、こうなんかな、みたいなことふくめて、ほんといろんなことがあって、そういう思いの塊だったなっていう、感じがします。みなさんが望んでいるように、自分も、またタンク建ててやりたいなとやっぱ思ってしまいますよね。


この耳の事もそうですけど、使っていかないと戻らない部分もあるのでね、だから、なんかこうみんなと一緒の空間で、ひとつの空間で日々を過ごして、会場がころころ変わるのではなくてね、ひとつの空間でみんなと一緒にハッピーにすごして、みたいなことを、ご用意させてもらえたら、それこそ気が付けば、あれ治ったなみたいな話にもなったりするのかもしれない。でもなんかそういうようなミラクルが起こってしまうんじゃないかとさえ思う場所でありましたからね、ウォータータンクは。うん。


またそういうのができたらいいなと思うけど、今年もね、なにかこういい形でみなさんの前に立てたらいいなあなんて思ったり。音楽作業もね、再開したりしながらやってはいますからね、みなさんに作品を届けることは、今後もスムーズにはできると思うんですけども、ちょっとあの、そうね、作る歌の感じが変わるかもね。どうしてもやっぱりこう、右耳だけに過度な負担をかけながら今まで通りと同じことをやるっていうのはちょっと、よくない気がぼくはしてるんでね、左耳も使いつつ、右耳、は、頼りになるやつって感じにして、やれる音楽をやらないといけないかなぁっていう、かんじはしますよね。いろいろなことをあきらめるとか、いろんなことを、ないがしろにしてったりするひととか、いろんな人がいる中で、自分一人だけがあきらめずに生きるってけっこうしんどいんですけど、でも、あの、そういう思いで生きて行くことのほうがストレスがないようなんで、そんなふうにして今後も生きて行きたいなと思います。いろんな人々を見て、いろいろな人々の態度とか行動とかそういうものにちょっと傷つけられながら書いた曲でもありますけれども、こちらの「赤い鼓動のheart」聞いてください。

 

「赤い鼓動のheart」

 

堂本剛とFashion&MusicBook、今夜の放送いかがだったでしょうか。本日は東日本大震災のお話からさせていただきました。お便りもいただいて、今思う感情をいろいろと述べさせていただきましたけれども、やっぱりこう風化していくっていうのはどうしてもあるから、でもその、なんていうのかな、風化を客観的にしか見れない人と、風化と共に生きてる人と、ほんといろいろいらっしゃるなと思いますね。なんかもう今って、ほんとにその、言葉を選びすぎな時代で、態度も選びすぎで、これで…どうすんのやろと思うこと、けっこう、なんかやっぱ、多いなあっていうか、人の立場に立ち、人の気持ちになってよりそって何かを物事を考えられなくなる日がくるのかなって、そういう恐ろしさがあるよね。あ、この問題にはちょっとかかわるのやめとこ、みたいな空気とかほんとに人が冷たくなったよね。ものすごく。無意識のうちに。そりゃあ物を作ったり、するのは、むずかしくなるわ、てすごく思います。もう一度、だから、僕たちすべての人間がね、取り戻さなければいけないものって言うのを、オリンピックもあるわけですし、いろんなことをやっぱりちょっと考えなおさなきゃいけないかもしれないですね。そういうふうになれるといいですね。


どの…日本中にあるどの会社も、そうですし、どの企業もそうですし、うん。学校とか、施設とか、いろんなところ。日本にはいっぱいいろんなものがあるけれども、そのすべてがもう一度考えてもいいことっていうのをテーブルに並べて、考え直すってことはとてもいいことなんじゃないかなぁって。たとえば家族でもそうだし。恋人同士でもそうだし。なにかちょっとこう、考え直そうかっていうことは、ひとつ大事かなって思いますよね。ということで、みなさんに、今日もいろいろなメールいただきましてありがとうございました。

 

(宛先)

 

さ、ていうことでございまして、今日はですね、ぼくの大好きな街、奈良、そしてその奈良から離れ、東京に出てきて、いろんなことを思い、東京から奈良を思い、なんかいろんな複雑な気持ちで書いた、そして最初書いた時には、事務所にめっちゃ怒られた曲。なんであんたはこんな男受けするような曲を書くんだ
え、そんなつもりはないけど、みたいなもうちょっと女の子にもてるような曲書きなさいってこっぴどく叱られでもいま、叱ったことは気にしなくていいからね、と言われ、ていう思い出のある曲なんですけれども。この曲をたいせつにしてくれる人々がたくさん今はいて、あのとき愛情をもってね、叱ってもらって、なんかよかったななんていろんなことがよみがえる一曲でもあります。今日はこの「街」を聴きながらお別れです。堂本剛とFashion&MusicBook、お相手は堂本剛でした。それではみなさんまたお会いしましょう。おやすみなさい。


「街」