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剛 244/堂本剛 radio

[도모토 쯔요시] bayfm 堂本剛 と「Fashion & Music Book」vol.88 (2011.04.02)

by 자오딩 2011. 4. 5.

2011年4月2日



[BGM:Coward]

bayfmをお聴きの皆さんこんばんは、堂本 剛です。
さぁ、え~【堂本 剛とFashion & Music Book】今週も始まりました。
今日は4月の2日でございますけれども。
え~まず最初にですね、メールいただきましたが。
え~とRADIOネームがですね、なくて、男の方ですね。男性の方なんですが。

☆ファン歴13年の、高校1年生です。
<剛さんにね、伝えなければならないことがあって、メールさせていただきました>
ということなんですよ。で、
<剛さんは覚えていないでしょうが、
“美我空LIVE”の仙台サンプラザホールで、僕が「付き合って~!」と叫んだら、
剛さんは「男の子はちょっと…」と言って笑い、
手を挙げたら「めっちゃド正面や」といってからんでくれました。
あのときのことは今でも鮮明に覚えています。そして一生の思い出です>と。
で、これ、あの~僕やっぱ記憶力、いいほうなんで、めちゃめちゃ。
これは読むと、“ああ~”ってやっぱ思うんですが。
なんかね、まぁ同性の人っていうのもあって、けっこう覚えてるんかもしれんけど…
けっこうあの~覚えてますね。なんでかっていったら、
たぶん頭で過ごしてないんやと思うんですよね、その…時間を。
“僕”で過ごしてるっていうか。普通に過ごしてるんで。
そうすると、鮮明にいろいろなこと、やっぱ覚えてるし。
まぁスタッフが何を言うてた、とか。
こんなことでもめてたなぁみたいなこととか、うん。
いろいろやっぱり甦ってきますが。
で、このワンシーンも「あぁ、あれね」っていう…ふふん…感じもございますけれども。

彼がね、そのLIVEの直後に、学校で理不尽なことでイジメられました、と。
そして学校に行けなくなった、と。
<不登校の間に、剛さんに絡んでいただいたことを思い出しながら、
剛さんのアルバムやENDLICHERIのアルバムをずっと聴いていました。
本当に、歌詩と僕の心が重なって、何度も何度も涙しました>と。
<そんな中、『これだけの日を跨いで来たのだから』を聴いていました。
すると、聴いているうちに、こんな風にしてはいられない。
逃げてちゃいけないんだと思いました。
僕は勇気を出して、2週間ぶりに学校に行きました>と。
<すると、イジメは終わっていました。イジメてきた人も謝ってきました。
その日から卒業まで、ほんとうに楽しく、最後の中学校生活を送ることができました。
あのとき、僕は剛さんに“生きる勇気”や“希望”をたくさんいただきました。
ほんとうにありがとうございます。感謝してもしきれません。
…ということを伝えたかったんです。
あのときを思い出すとお腹が痛くなったりして、なかなかメールできませんでした。
そして1年半ぶりくらいに、ようやくメールできました。
ほんとうに大好きです。お体に気をつけて、これからも頑張ってください。
次こそは、また仙台にLIVEも来てくださいね>と、いうことなんですね。

あのときのことを、なんかこう…思い出して、
こう…なんていうのかな、苦しくなる。うん。
そういう…誰もが、まぁ~…思い出すだけで苦しくなるっていうね、
経験って、あると思うんです。
でもそこを、あの~向き合わずに、まぁ背中を向けてしまうと、
ずっとそこを無視しなければいけないし、
そこから逃げていかなければいけないので。
う~~ん、ほんとうを生きることっていうのが、苦手になっていくから、うん。
で、『これだけの日を跨いで来たのだから』という曲はもうほんとうに、
悲しみのどん底にいる人を、救い上げるような曲を僕は創りたいと思って創ったのが、
『これだけの日を跨いで来たのだから』なんですよ。
LIVEでもすごく成長したし、たくさんの人にほんとに「あの歌が好きだ」って言ってくれる、
あの~意見もね、すごく多く聞けた曲なんですよ。
『ソメイヨシノ』ももちろん「いい曲ですね」と言ってくださる方も多いですが。
やっぱり人の心を救いたい、と思って創った曲。
『これだけの日を跨いで来たのだから』という曲があるんですが、
まぁこの曲と共に、あの~彼が、さまざまなことに向き合ったり、
立ち向かったりしてくれたっていうことは、すごく自分もうれしく思いますし、
また仙台にもねぇ、LIVEに行きたいなぁっていう風にも思ってます。

仙台も、ほんとに何度も何度も行きましたから、うん。
すごく思い出ありますしね、うん。
僕がまだ、あの~お肉食べてたころはね、あの~牛タン食べに行ったりとかねぇ、
いろんな思い出ありますよね、う~ん。
あの~政宗のね、眠る場所とかね、なんかいろんなとこ、行きました、うん。
なんか仙台はほんとに、かなりの回数行ったなぁっていう記憶もあるし、う~ん。
まぁこのエピソードもね、いろいろ覚えてるんですけれども。
まぁ、う~ん、自分が決めて、そこに行くっていうことが、
出来るときと、出来ないときがあるけれども。 
                      [♪『これだけの日を跨いで来たのだから』スタート]

僕がそこに行くときは、絶対に行くし。
あの~“自分”としてもちろん行くし、誰かに言われて行くわけではないし。
そのなんか“自分”というものをもって、
また仙台にも行けたらいいな、と思うし。うん。
いろいろな気持ちが込み上げてきますが。

え~、この彼がですね、自分の生活の中で、
そのイジメというものを、それによってさまざまな感情と出合って、
そのさまざまな感情を克服して突き進んだ、立ち向かった、
未来を目指して、今その未来を歩いている、その事実と共にに生きている、
この『これだけの日を跨いで来たのだから』という曲をですね、
皆さんに聴いていただきたいと思います。
それでは、堂本 剛で『これだけの日を跨いで来たのだから』どうぞ。


  -♪ 『これだけの日を跨いで来たのだから』ENDLICHERI☆ENDLICHERI ♪-


[BGM:これだけの日を跨いで来たのだから]

あらためまして、こんばんは。堂本 剛です。
さぁ【堂本 剛とFashion & Music Book】
え~ここでもですね、いただいたメール、読ましていただきますが。
え~新曲『縁を結いて』こちらがですね、4月の6日ですね。
もうちょっとでリリースされる訳なんですけれども。
その新曲をですね、さまざまな場所で聴いていただいたり、
感じていただいた方々からですね。
え~メールいただいてますんで、読まさしていただきますが。

☆ままこさんですが。
<bayfmさんでですね『縁を結いて』聴くことができました>と。
Power Playがですね、3月の21日から4月の10日まで、
bayfmでPower Playになっていますが。
<『縁を結いて』を聴くことができました>と。
<やさしくて、そして進む道の先が明るく開けていて、
希望の光が満ちている、そんなイメージです。
とっても素敵な曲ですね>ありがとうございます。
<どんなときに、何をしているときに、
この曲が降りてきたのか教えていただけたらなぁと思っています。
たくさんの方の心に届いて、希望となりますように>
というメールとですね、そして…

☆つぐみさんが
<Mステを拝見いたしました。剛さんが歌っているときの表情が泣いているように見えて
心苦しかったです。2年前に創られた歌ということでしたが、
不思議と今の日本に必要な曲だと思いました。
剛さんの歌声がとてもきれいで、詩もシンプルな分、胸に刺さるようで、
聴いていてすごく悲しくなりました。でも、すごく素敵な曲だと思います。
いつか今とは違った気持ちで聴けるようになりたいです>という風に、いただきましたが。

あの~先ほども、どういう状況でこの曲が降りてきたのか、ということ…なんですけど。
もうほんとに、え~ま、この曲の、CDジャケットもそうですが、
Music Clipもそうですし。後はまぁヴォーカルですね、声もそうなんですけれども。
奈良の南部にあります天河神社という神社がありまして。
ここは縁結びの神様でもあるんですが、音の神様ですね。
音の神様ということは、弁財天さんなんですけれども。
弁財天さんということは、え~龍の神様でもあって、龍神でもあって。
龍神ということは、ヘビにも繋がっていきますし、
龍神ということは、水の神様なんですね。え~そういう場所、なんですが。
え~~ま、そこに僕は、あの~ご縁があったんで、何度かあの~、
まぁ足を運んでたんですよね、個人的に。ほんとに個人的に運んでいて。
で、この『縁を結いて』という曲ができるときが、ものすごく不思議で。
まぁ家族で、お参りに行ったんですけれども。
これは家族に、あの~親孝行も含めて、ちょっと近くの温泉泊まったりとかしながら、
で、弁財天さんにみんなで行こか~って。
家族の縁がこれからも強くあるように、っていうような感覚で行ったんですよ。
ほしたら、まぁご祈祷していただきましてね。
で、「ご家族で、あの~神様の、弁天さんの顔を、どうぞ近くで見てください」
って宮司さんが言ってくださって、神殿を開けていただいて。
で、家族でこう~正座しながら弁天さんをこう見上げるような形で、
ず~っと見てたんですよ。
そしたら、母が、ものすごく静かだったので、ふと横を見ると、
ひと筋の涙をすーって流してたんです。で、
「どうしたん?」って聞いたら、
「きれいやなぁ」って、そのひと言だけ言って、ずーっと泣いてるんですよ。
あぁこういった、理屈じゃないもの、この涙のような理屈じゃないものを僕は、
クリエイションしたいってずうっと思いながら生きてるのに、
こういうものって、どうやったら創れるんだろうって、なんか思いながら。

理屈じゃないものを目の前にしたときに、人間って何もできないっていう、
ことがあるじゃないですか。今や、科学方程式や哲学やさまざまなものがあって、
まぁ計算式の中でデータというものを割り出すけれども、
じゃあ、この涙って、今流してる涙、データで出せるのかっていったら、
出せないでしょ?
そういうものを目の前にしたときに、ものすごく無力さを感じる。
まぁその、奈良の大昔っていうのは、
自然崇拝している思想の、今も息づいている神社やお寺、
いろいろなところがありますから。山の神様、水の神様、火の神様、ね。
いろいろな神様がいて、その神様が仲良く、日本という大陸の中で生きていますよ、
というのが、昔の日本の神道の、まぁ思想な訳なんですけれども。
なんかそういうナチュラルなもの、をなんかこう、表現したかったんですよ。
で、そういうナチュラルな、え~まぁピュアな気持ち、というか、は、
今の日本に必要だな、と思って。                     [BGM:RAIN]

このまま日本人が、自然という大地の中に、理屈という城を建てて、
生きていくことを続けてしまったら、う~ん、
バランスが悪くなるときがいつか来る、と思って。
日本人の心を救うために、この『縁を結いて』を書こう、って思ったんですよ。
でも、母の涙を見たときに、その、いてもたってもいられなくなって、
その、今、僕が言った思いと、理屈ではない涙とかなんかこう…一気にグルーブし始めて。
で、宮司さんに
「ちょっと今から歌詩を、ここで書いていいですか」って言うて。
「あぁ、全然いいですよ。ゆっくりしてってください」って言われたんで。
「じゃあ、失礼します」っていうことで。
能の舞台が、その神社にはあるんですが。
芸能の神さんでもあるんで、そういう能のステージとかもあるんですよ。
そこでパソコン開いて、降ってきた言葉を書いたら、この歌詩だったんです。
だからその場でもう、ほぼ完成しちゃったんですよね。
で、メロディーもほぼ完成してたんですよ、頭ん中にこうメロディーがあって。
で、そこからまぁ東京に戻って、東京で歌詩をちょっとこう、
いじりながら、修正したりとかっていう作業、しようとするんですけど。
なんかねぇ、理屈で、歌にしようとか、歌詩にしよう、とすると、
辻褄が合わなくなるんですよ。

だから、宮司さんがおっしゃるように、え~とこの天河という場所は、
数字でいうとゼロという場所なんですって。
で、僕はずっとゼロのクリエイトをしたいと思って生きてたので、
府に落ちたんですが。
数字でいうとゼロ、プラス1でもないマイナス1でもないというところなんだ、
というお話があったんですよ。
だから、理屈で、あるいは欲で、こういう曲にしたい、
まぁこういう風にみんなに聴いてもらいたい、こういう風に思ってもらいたい、
ということを、付け加えて、修正しようとすると、
バランスが悪くなって、なんか完成しないんですよ。
これを捧げたいと思ったときに、歌詩がビチッて決まって、
なんかOKなっちゃったんですよね。

で、なんか、すごい歌詩できちゃったなぁ、と思って。
で、歌詩の中に“くに”という言葉を入れるアクションは、
そうないはずなんですけど、書いたんですよね。
で、なんでかっていったら、
もし神様がいるとするならばという言葉、あえて使いますが、
これを書きなさいって言われたんですよね。
で、もし神様がいるとするならば、歌も神社で歌いなさい、
「歌いたいでしょ?」
「はい」
「じゃあ、歌いに来なさい」って言われたんですよ。
って、僕、聞こえたり見えたりしませんよ、うん。
でも、なんかそういう感覚があって。で、電話をして、
「神社で歌ったりしてもいいですか?」って言ったら、
「堂本さんやったら、いいですよ~」って言ってくれはって、行ったんです。
で、天河行かれた方は分かると思いますが、外の音がすごく入るので、
雨が降っても、クルマが走っても、虫が鳴いても、蛙が鳴いても、具合悪いんですが、
風がぴたっと止んじゃったんですよ。
で、普段、宮司さんが祝詞をあげられてる場所で、マイクを持って。
で、神殿も開けていただいて、弁天さんを見つめながら歌ったというか。
でもはっきり弁天さん、見えませんけれどもね、夜だったんで。
でもまぁそういうような中で、歌っていくんですが、
これまた、欲をもって歌ってもうまくいかなくて。
ゼロになって、祝詞を上げるような感覚、たとえば。
あえて言うなら、祝詞をあげるような感覚で、歌をこぼすと、言霊をこぼすと、
OKテイクが録れたっていうのが、この流れなんです。

で、この曲は、今、僕がこうやって話しをいろいろしているだけ、
やっぱ熱い想いがちょっとあったが故に、どこで出してもいいっていうわけではなくて。
じゃあ、もうここで出せなくなったんだったら、
来年考えることにしますって言ったんですよ。
で、僕の誕生日が4月10日です、もうすぐ来ますが。
ここは東京の都知事を決めるというところに、ものすごく重要な日になってるんですね。
で、僕は日本人の、その国民の心を救いたいと思って、
たくさんの“気づき”を与えたり、したいと思っていて、この曲を書いているので、
東京の中心を決める日、が自分の誕生日、生まれた日である。
ならばここに向けて、このシングルを出すっていうのがいいんじゃないかって、
スタッフからまずその話しを聞いて「あぁ、それはすごくいいことですねぇ」と。
「じゃあ、そこに向けて出しましょう」、
「じゃあ、4月10日に出しましょう」って、言ったんですが。
え~曜日的なこととかがいろいろありまして。
「じゃあ、4月の6日で」というような流れに、自然となったんです。
4と6足したら10やし、自分10日に生まれてるし、まぁ縁起いいですねぇ、なんて言って。
『縁を結いて』という曲でもあるし、いいかもしれませんね、ということで、
去年の12月ぐらいに、リリースを4月の6日でじゃあいきましょ、ということで決めた、
というのが流れなんですね。

で、先日『ミュージックステーション』出させていただきましたけれども。
それも、え~僕が個人的に起こせるアクションとして、
ホームページに歌詩をアップさせていただくことと、
あとは、奈良に祈りに行くっていうことが出来ると思ったので。
お祈りをしに行ってたんですよ。
で、お祈りしに行って、で、この歌が、たくさんの日本国民のね、
笑顔を創ったり、勇気を創ったり、希望を創ったり、
たくさんの日本人を救うキッカケとなるように、
あの~僕も一生懸命向き合って、この期間を過ごしたいと思うから、
あの、たくさんの人に届けられるように、神様も一緒に見守ってくださいって、
一緒にアクションを起こしてください、みたいなことをお願いして。
神社さん、後にしたときに、電話が鳴って。
「あの~『ミュージックステーション』急遽なんですが、ちょっと戻ってきていただいて、
『縁を結いて』を歌うことになるんですが」っていう話しになったんですよ。

なので、あっこれは、歌いに行く、ということだなぁと思って。
「わかりました」っていうのが『ミュージックステーション』だったんですよ、うん。
まぁあの~、いろいろね、本来のオンエアが、流れてしまったりとか、
あのいろいろこう変更したりとか、さまざまやっぱりこういろいろしてる中で、
あの~この曲を一刻も早くね、RADIOでかけたいと思っていた、いろいろな中で、
今日、このタイミングに、きちんと話しをできる待遇をいただきまして。
なので、こうちょっとこう、いろいろ熱くなってね。
語らさせていただいているので、このままエンディングに、
突入させていただこうと思うわけですけれども。


まぁほんとにあの~これから、え~僕たちが、過ごしていくさまざま、ね。
う~ん、頑張ることとか、乗り越えることとか、立ち向かうことをする前にね、
自分をもつということをね、自分と向き合うことね、自分を知ることね、
自分を学ぶことね。これを、実行すると共に、
思い出すっていうことを、まずやらなければ、物事は僕、進まないと思うんでね。
いろいろな不安とか、いろいろな葛藤に、日々襲われる。
それがやっぱり人間、生きていくということですから。
そういった不安とか迷い、葛藤に対して、何がいちばん必要か。
“自分”なんでね。
だからぜひとも、自分を感じて欲しい、今の自分はね。
で、僕は、頑張れとか、言いたくは、ないです。
頑張ってるから、みんなね、うん。
で、僕が『Mステ』で、泣いてしまいそうになったことも事実ですが、
こんなところで僕が泣いていても仕方ないなと思って、グッとこらえました。
ここで泣いてはいけない、泣くんであれば家へ帰ってひとりで泣いたらいいと思ったからね。
でも実際、自分は無力なのか、何もできないのか、何かいろいろなことをこう、
胸の中で張り巡らせながら、ただただ涙が流れなかった日もありました。
でもそれは、こんなところで自分が泣いている場合ではない、という解釈もあるかもしれませんが、
それだけ、自分にとっては大きな時間が、そのとき流れたんですよね。

だから、いろいろな人々の思いや感情というものが、自分の胸に飛び込んできて、
涙となって、理屈ではない涙となって、流れたんですね。
だから僕はそれは、理屈ではない涙だったので、
ぬぐうこともせずに、ひたすら泣きましたけれども。
でも、その理屈ではないということを、やっぱり生きていかなきゃいけない、僕たちはね。
だって、自然の中に生きてるから。日本列島という自然の中に生きてるからね。
この自然を、理屈ではない人間が、共存する、生きていくということは、
理屈と自然のバランスがおかしくなったときに、
不安や迷いっていうものは絶対に出てくる。
だからその思い出すっていうことは、イコール、理屈を少し捨てて、自分を信じる。
自然と共存していく、さまざまな意識を少し変えなければいけない。
自分をしっかり持って、っていうのが、今すごく感じているところなんですね。

だから、まぁ僕は今、東京で、こういうお話させてもらってますけれども。
自分がこれから、どのようなね。
時間を過ごしていくのかなんていうことも、計算でははじけないし。
この小さい体の中から、いろいろ生み出すものが、
どれだけの人に影響を与え、それも、いい影響与えられるのかっていうのは、
これもう理屈ではわからないので。
でも、考えすぎても仕方のないことだと思うし。           [♪『縁を結いて』スタート]
だからナチュラルに自分に反応して、ナチュラルにクリエイト、
ゼロのクリエイトをしていこうって、僕は思ってます。

だから、皆さんもですね、このRADIO、
いつもあの、ものすごく真っ直ぐに、いろいろなメッセージくださるんで。
これからも引き続き、ですね、え~理屈を解いて。
え~自分という意思をですね、堅く結んでですね。
このRADIOに、さまざまなメッセージを送っていただけたらな、
という風に思います。
メールはですね、『tsuyoshi@bayfm.co.jp』です。
ファックスは『043・351・8011』。
ハガキは『〒261-7127 bayfm』まで、どうぞよろしくお願い申し上げます。

さぁ、え~先ほどからずっとお話させてもらってますが、
4月の6日『縁を結いて』が来週の水曜日にリリース、決定いたしました。
この曲は、今、お話させていただいた気持ちが、ものすごく詰まってる楽曲で、
皆さんと一緒に、この曲と共に、美(うるわ)しきくにニッポンであったり、
自分というものを、理屈じゃないゼロという自分を、思い出せるような、
そんな時間をいっぱい過ごせたらな、という風に思っておりますので。
皆さんもですね、ぜひさまざまな時間とか、さまざまな感情とか、
いろいろほんとうにあるとは思いますが、
自分というものをしっかりもって、自分と向き合って、
自分と、自分らしく過ごしていくことが、できますように。
ほんとにあの、祈りと願いと、さまざまを込めて、
この曲を最後にかけさせていただきたいな、という風に思っております。

それでは【堂本 剛とFashion & Music Book】
今夜はですね、4月6日リリースします。堂本 剛『縁を結いて』。
こちらを聴きながらお別れしたいと思います。
お相手は堂本 剛でした。
それでは皆さん、また来週、お逢いしましょう、さよなら。


 -♪ 『縁を結いて』 堂本 剛